霜月と師走のはざま、ブルージュに一泊二日で行ってきました。歴史地区全体が世界遺産に登録されているブルージュはどこを切り取っても絵画のようで、その幻想的な風景に、中世が歴史から蘇ったような不思議な感覚に襲われました。通常写真は意図的に狙って撮影されるため、実在の景色より写真の方が映えることは最近では当たり前ですが、ブルージュは写真よりもそれ自体が美しい街でした。これから数回に分けてブルージュ編をご紹介したいと思います。1回目はベルギーにおいて、ブリュッセルと1、2を争う人気のブルージュのクリスマスマーケットをご紹介します。
ブルージュはベルギー北西に位置する西フランダース州の州都です。この「ブルージュ 'brugj' (桟橋)」という名が文献に登場するのは9世紀。
Photo by: Bruges - Wikipedia
ブルゴーニュ公国の首都であったブルージュは北海と繋がる恵まれた地の利を活かし、13世紀から15世紀、ヨーロッパ有数の国際貿易都市として繁栄しました。世界初の証券取引所が作られたのもこの時代のブルージュでした。
(1457−1482)
街の衰退は、我らの美しきプリンセス、と幼い頃から国中から愛されたブルゴーニュ君主、公女マリーの落馬という不慮の死によって始まります。マリーの後を継いだ彼女の夫で、のちの神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世とブルージュの有力者が対立。ブルゴーニュ宮廷は街を去り、国際商人たちもそれに続きました。時を同じくして、北海の土砂が運河に堆積、ブルージュは貿易都市としての役目をアントワープに譲り、街は歴史の表舞台から姿を消します。ブルージュが再び脚光を浴びるのは、19世紀末。衰退のまま中世の面影を残すこの街は裕福なヨーロッパ人の観光地として再発見されます。2000年には街全体が世界遺産に登録され、現在年間800万もの観光客がブルージュを訪れています。
参考文献:Visit Bruges. The history in a nutshell (ブルージュ歴史概略).
De geschiedenis in een notendop - Visit Bruges
Photo by:Marie de Bourgogne, Duchesse de Bourgogne... - medieval autumn
当時の貿易手形のやりとりの関係を示した図。左図をみると、当時のブルージュは、バルセロナ、ベネツィアと並ぶ三大市場であり、北ヨーロッパ最大の国際商業都市であったことがわかる。16世紀にはブルージュは衰退し、近隣のアントワープ(アントウェルペン)が台頭している。
中世の時代、ブルージュはロンドンやパリを凌ぐ、最先端の国際都市でした。
さて、ロッテルダムからブルージュはお馴染みの長距離バスFlixBusを利用しました。電車よりも少し時間はかかるものの、料金が安いこと、ストライキの影響を受けないこと(旅行中、ベルギー鉄道は絶賛ストライキ中)、直行便も多く乗り換えが少ないこと、などの理由からバスを利用することが多いです。
マルクト広場のクリスマスマーケットの様子。
さて、軽く食べようと思って向かったのは、ベルギーのパンの有名店。Le Pain Quotidienのブルージュ店。
何の音だろうと振り返ってみたら、
馬の足音が石造の街に反響していて、その大きさに少し驚きました。
そして周りから聞こえる楽しそうな声。
うん、よき哉。
石畳を歩くと結構足に来て疲れるので、一度ホテルに戻り、少し休んでから夕食に出かけました。
次回は、翌日の街歩きを綴って見たいと思います。ミケランジェロの作品がある聖母教会やベルギービール好きなら垂涎のブルージュ・ゾットの醸造所見学など、ブルージュは小さい街ながら見所がたくさんあって、来る前は正直2日もいて飽きるだろうな、と思っていたのが、見事に裏切られました。