オランダ留学記

トラブルが寄ってくる体質。2022年8月から2023年7月までオランダの大学に交換留学にきています。純ジャパ。

AIG高校生外交官プログラム募集中

AIG高校生外交官プログラムの募集が始まっています。プログラムは渡米プログラムと、日本プログラムの2種類があり、どちらも無料です。詳しくはこちらのサイトをご覧ください。

www.highschooldiplomats.org

 

私は、数年前渡米プログラムに参加しました。一番の思い出は、やはりプリンストン大学の寮で、アメリカの高校生と生活を共にしたことです。ニューヨークの進学校に通う彼から、アメリカ社会の上層部のマナーや教育システムについて教えてもらったり、将来の夢を語り合ったり、音楽の話をしたり、と学びの多い体験でした。

滞在したプリンストンの寮

AIG高校生外交官プログラム(High School Diplomats)は、日本で最も充実している高校生向けの国際交流プログラムだと思います。近年の詳しい倍率はわかりませんが、約20倍ほどです。高倍率ですが、個人的には倍率はあってないようなものだと思います。参加したいという熱い気持ちを表現して、面接のためにしっかりと準備することが最も大事です。もし、詳しく聞きたい方がいましたら、コメントください。

 

ちなみに、今年度のプログラムの様子はこちら。久しぶりに少し覗いたら、あー、こうだったな、と懐かしかったです。

 

aiuhsd.wordpress.com

ウィーン・プラハ旅行記4。ウィーン美術史美術館と不運なパンケーキ

ウィーン3日目の朝です。明日の早朝プラハに出発するので、この日がウィーンの最終日でした。ウィーン美術史美術館の開館に合わせて出発します。

 

ウィーンの駅のプラットフォーム

 

ウィーンはプラットフォームまで洒落てるのかー、と思ったらユーゲントシュティール様式とかいう有名な様式美だそうです。

 

道がすっきりしているのは街灯すらないから。道理で夜真っ暗なわけだ。

 

ヨーゼフシュタット駅近くの教会

こんな立派な教会が別に観光名所ってわけでもなくあるからウィーンすごいです。

 

マリア・テレジア広場までやってきたら、目的地はすぐそこ。

マリア・テレジアの差し出す手の向きに進むと、

ウィーン美術史美術館です。

ハプスブルクが威信を掛けて収集したコレクションが所蔵される世界有数の美術館で、この中の一枚が日本に来ると、鑑賞者の長蛇の列ができるような傑作の数々が所蔵されています

 

中に入るといきなりすごいです。

この圧倒感、バチカン以来かもしれない

天井のフレスコ画は、大階段建設中の様子が描かれているようです

フレスコ画と実際の大階段がオーバーラッピングして当時を忍ばせるような壮大な雰囲気

ライオンはやっぱり紋章映えする。

カノーヴァ「ケンタウルスと闘うテセウス

ある時期に作られた彫刻や絵画では宗教的制約で局部をいちじくの葉で隠してあります。でも却って悪目立ちしてめっちゃ変だよ、と思うんですが。

 

振り返るとこんな感じです。

 

柱の隙間を埋める壁画は、クリムトが描いたという超絶豪華さ
Photo from https://www.khm.at/highlights/

 

絵画鑑賞トップバッターはヘビ系美女を欠かせたら唯一無二のクラーナハです。

アダムとイブ

これは比較的若い頃の作品なので、普通にアダムもイブも美形で、クラーナハ度数10%という感じ。ヘビの描く曲線とイブの髪の曲線が好対照です。

 

今回、この絵とブリューゲルとベラスケスを見にこの美術館に来ました。

ホロフェルネスの首を持つユディト

断面がリアルすぎる首。その断面とマッチする鮮やかな衣装と輝く髪。斬首したことでさえなんとも思ってなさそうな冷静な目。素晴らしい絵です。うん、満足。

 

 

次は、ブリューゲルです。ブリューゲルは、宗教画以外の世界を初めて提示した画家の一人。画家になる前はアントワープの一流版画出版社でデザイナーをしていたそうで、構図力や視野の広さが絶妙なのはだからか!と納得しました。

雪中の狩人(冬)

めちゃくちゃ緻密です。

スケートやホッケー、カーリングをしている村人たち

狩の帰り。不猟で獲物は一匹のみ。背中からガッカリ感が伝わります。犬もガッカリ。

 

大バベルと呼ばれブリューゲルの中で最も知名度の高い作品。

バベルの塔

王様、石切現場を視察中。人物は言うまでもなく石打ちの釘まで丁寧に描かれています

 

こちらは賑やかで生き生きとした絵です。

農民の婚宴

セモリナ粉とミルクで作る今でも食べられている伝統的なプディング(お粥)。

人物描写が丁寧。こういう気が利く、取り分け係の人っていますよね。

 

ビールを注ぐ手元も手慣れた感じでいい

賑やかな生活音が響いてきそうな絵でした。

 

次は、100デシベルくらいの音量がありそうな絵

子供の遊戯

83通りの子供の遊び大百科。自分も小学校低学年までは生きるエネルギーを遊びに全振りしてたなあとこの絵を見て思いました。

(出典:https://www.khm.at/objektdb/detail/321/?offset=8&lv=list

 

ブリューゲルは戦争や悲劇も一貫した緻密な筆使いで描いてます。

サウルの自殺

この甲冑よく描いたよ。

 

次の肖像画は地味ですが、お気に入りです。厳格さみたいな性格が伝わる画。

ホルバイン(子)「ジョン・チャンバーズ博士の肖像」

人物を際立たせる濃い緑の背景もいいです。ホルバインはロンドンのナショナルギャラリー所蔵のこちらの絵で有名な画家です。

大使たち

 

 

次は額縁(?)が一際すごいこの絵画

デューラー「諸聖人の祭壇画」

選ばれし人々が、父(神)、イエス(子)、精霊(鳩)に一度にお会いできるチャンスを激写した場面。秋の叙勲って感じでしょうか(違う)。激写した画家(デューラー)は右下。絵としては正直惹かれないけど、壮大です。

 

 

ここからはルーベンスです。

聖イルデフォンソ祭壇画
マリアが感情豊かで、宗教画なのに親しみやすい

ルーベンスは外交官、画家として大活躍した有能な人物。どこのヨーロッパの美術館に行っても、多くのルーベンスの作品が所蔵されていて、多作な画家だったのだと思います。華麗でドラマチックで柔らかい作風で世界中から愛されています。

 

洗礼者ヨハネと二人の天使を伴う幼児キリスト

ルーベンスの代表作の一つがこちら

毛皮をまとったエレーヌ・フールマン

これはルーベンスの2番目の妻がモデル。再婚時ルーベンス53歳、エレーヌ16歳。どうなのそれ、とは思うけど。

出典:https://en.wikipedia.org/wiki/Helena_Fourment

 

 

ルーベンスの工房には多くの助手が働いていましたが”私の一番優秀な弟子”と評されたのがヴァンダイクです。

福者ヘルマン・ヨゼフの夢

ルーベンスの影響を感じますが、より上品度高し。ヴァンダイクはイギリスで人気があり、イギリス絵画界に大きな影響を与えた人物だそうです。分かる。ルーベンスはイギリスにはちょっと陽気すぎるよね。

 

お昼にカフェを予約していたので、一度退館しました。それほど遠くない場所なので歩いて向かいます。かつてのウィーン市壁跡であるリング通り(リングシュトラーセ)には、美術館や劇場、官公庁などの公共建造物が並んでいます。

青空に映える国会議事堂
古代ギリシャって西洋思想の発祥の地もあり憧れなんだろうな。

カラフルな横断歩道とウィーン市庁舎
ウィーンはLGBTフレンドリー都市らしいです。概して南以外のヨーロッパ諸国はそういう自分達の関わる人権には非常に熱心です。

優雅なウィーン市庁舎
市庁舎前の広場はフィルムフェスティバル、クリスマスマルクト、スケートリンク、と一年を通して市民の憩いの場になっているそうです

市庁舎の向かいは、モーツァルトの「フィガロの結婚」の初演の場、ブルク劇場

ブルグ劇場を過ぎてすぐのところが目的地です。

Café Landtmann

 

2023年、創業150周年を迎えたウィーンの老舗カフェ

室内とテラス席どちらにするか、と聞かれたのですが、お天気が良いのでテラスにすることにしました

リング通りを行き交う車や人、ウィーン市庁舎が座り心地の良いソファから見えます

注文したのは、フランツ・ヨーゼフ1世にちなんだ、オーストリアの伝統的パンケーキ、カイザーシュマーレン。

20分くらい時間かかるようなことを言っていたのに、すぐ運ばれてきた

時間が話していたのと違うのでこの時点で若干違和感あったのですが、最初食べたときに、ん?ちょっと食感が重いんだなと思いました。

でも、こんなもんなのかなと食べ続けていたら、なんと髪の毛発見。すぐに、ボーイをよんで、一応小さな声で

 

料理に髪の毛入ってました。

 

と言ったところ、現物を皿の中に確認をして、ボーイが言った一言は、

 

どうしたいですか?このままでよいですか?それともあなたは新しい皿を望みますか?

 

え、、、このままでよいかってその発想なんなの。ここ、一応かなりちゃんとした店だよね。

 

もちろん新しいのをお願いします。

 

ちょっとお待ちください。

 

と無表情で、すみませんの一言もないまま(ボーイ的には自分の髪の毛ではないだろうから謝る必要なしということなんだろうけど)皿が下げられました。

 

その後、15分くらいして新しい皿が来ましたが、やはり最初の違和感は正しくて、出来立てはふわふわで表面がカリッとしていて、とても美味しかったです。しかし、もともと量が多いのに加えて、1皿目で3分の1程食べていたので2皿目は完食できませんでした。付け合わせのベリーとりんごのソースが味変にとてもよいアクセントでした。

 

会計後、室内にいたベテランの給仕の方に、ご満足いただけましたか?と聞かれたので、髪の毛が入っていて、とても残念だった。しかも最初のものは、作り置きで味が落ちていた。二重に残念だった、と伝えたところ、

 

それはあなたにとって不運なことでした。しかし、これがあなたが私たちのカフェでする最後の不快な経験になるでしょう。次回からは必ずあなたはここで素晴らしい体験をするということを私が約束します。

 

と力強く宣言されました。そうかー、なんかリピーターみたいな扱いになっちゃってるけど、もう多分来ないし。

それでにしても、出たよ。

 

It was unfortunate for you.(それはあなたにとって不運なことでした。)

 

ほんっと謝らない。別の ”あなたにとって不運なことでした”話はこちらです↓

okuno.hatenadiary.com

 

 

カフェからまた美術館に戻ってきました。

 

光の魔術師フェルメールの代表作。

絵画芸術

手前のカーテンから椅子、机、画家、モデル、壁と複雑な構図の絵。何気ない日常の風景を何気なく見せる。フェルメールってすごく難易度高いことをやってるらしいのですが、それを感じさせません。それが筆力っていうんでしょうか。

 

真珠の首飾りの少女」も素晴らしかった。

okuno.hatenadiary.com

 

こういう絵みると、庶民が一番楽しいよなって思います。

ヨルダーンス「豆王の祭り」

公現節のパイに、豆が当たった人がその日王様になって、最も美しい人を妃にでき、みんなを家来にできるという楽しい風習。日本にも、正月過ぎのイベントとして、ガレット・デ・ロワかなり定着しました。実家でも毎年買ってますが、美味しいですよね。

 

オーストリアの母

マロン「マリア・テレジア

浮気癖もあった夫ですが、夫婦仲はとても良くて、夫亡き後は喪服で過ごしました。晩年まで心配していたのは、遠くに嫁がせた娘3人。あの娘たちは強情で愚かだと嘆きました。特に悩みの種はマリー・アントワネット。ママの話ってつまらないしー、耳タコなんだよねー、という娘に、死ぬ間際までアドバイスや励まし、将来の悲惨な警告を浴びせました。

(出典:https://www.britannica.com/biography/Maria-Theresa

 

ルモワーヌ「マリー・アントワネット
末娘マリー・アントワネットの教育は手が抜かれ、本人に学び気がさらさらないのも相まって、心根は悪くはないんだけど、”怠惰で軽薄”な少女としてすくすく育ちました。フランス革命の導火線はここで組み込まれました。

 

次はエロ親父

ティントレット「水浴するスザンナ」

美しい人妻を犯そうと覗き見してる2名のエロ老人。やばいわ。大っぴらに女性の裸体を描けない時代、こういう故事は女性の裸体を描く口実によく使われたそうです。西洋人、裸体ほんと好きだからね。ウィーン美術史美術館も、裸体盛りの宝庫でした。

 

 

次はティツィアーノ。特徴は、色使いが美しく、女性も美しい。

サクランボの聖母

ティツィアーノヴィオランテ」
この鮮やかな色彩感覚がティツィアーノらしく、これは彼の代表作の一つ



強烈な印象を観た者に残すという意味ではこれが一番でした。美術の教科書にも載ってた。

アルチンボルド「火」

何気にイケメン。目はろうそくです。こういう絵楽しい。

 

アルチンボルド「夏」
やっぱり楽しい。アルチンボルドの絵好きかも。

この絵を見て、11月に訪れた明治神宮新嘗祭の宝船とオーバーラップしました。

発想の源は似たようなところだと思う

 

カニャッチ「クレオパトラの自殺」

カニャッチは、クレオパトラを美しく描こう(加工)大会の優勝最有力候補。

 

ブロンズィーノ「聖家族と聖アンナ、幼児聖ヨハネ

信仰の取っ掛かりとなるようにマリアは美しく幼児イエスは可愛らしく、が基本なんでしょうが、これは陶器のような美しさがあります。

 

美しい聖母子像といえばやっぱりこれ。

ラファエロ「ベルヴェデーレの聖母」

ラファエロは、あまり身分の高くない女性を優美に描くのがとても上手です。額縁もすごい合ってる。いい絵でした。

 

最後は肖像画の巨匠ベラスケスによるスペインハプスブルク家の皆さんです。

まずはお父さん、フェリペ4世から。

フェリペ4世

高貴な血に混じりものを入れてはならない、と近親結婚を重ねたハプスブルク家では、子供達が生後すぐ亡くなったり、深刻な障害を持つことに悩まされるようになります。ハプスブルクの顎も濃い血の結果、一族の特徴となりました。フェリペ4世の最初の結婚で生まれた子女で生き残ったのは、8人中、太陽王ルイ14世の王妃となるマリア・テレサのみです。

マリア・テレサ

世継ぎのいないフィリペ4世は、2番目の妻を、オーストリアハプスブルク家から迎えます。相手は早世した息子の嫁になる予定だった自身の姪です。妹の娘との結婚は、近親婚をさらに深めました。その結果、生まれた5人の子供のうち、20歳を超えて生きたのは1男1女のみ。世継ぎとなったカルロス2世は、待ちに待った男子と誕生を喜ばれたものの、病弱、精神障害に苦しみ、王家断絶につながりました。少女の方は、フェリペ4世が溺愛したマルガリータ王女です。

薔薇色のドレスのマルガリ-タ王女
3歳

両親の血縁が近いにもかかわらず、マルガリータ王女は健康そのもので、可愛らしい容姿と活発な性格から「小さな天使」と呼ばれスペイン宮廷で愛されました。

白いドレスのマルガリ-タ王女
5歳

血族関係やデリケートな外交問題を抱え、マルガリータ王女は14歳でオーストリアハプスブルク家に嫁ぎます。嫁いだ相手は母方の叔父、レオポルト1世。叔父姪間の近親結婚を繰り返します。一連の肖像画は婚約者の成長記録としてスペインからオーストリアに送られたものです。

青いドレスのマルガリ-タ王女
8歳
ベラスケスが翌年亡くなったため、これ以降はベラスケスによる肖像画はありません。

叔父レオポルトとの結婚は、幸せなものだったそうですが、6年間の結婚で6人の子供を授かるものの生き残ったのは1名のみ。その悲しみの吐口をユダヤ人に向けてみたり、若さゆえの未熟さや傲慢さから宮廷で嫌われたりもしながら、21歳の生涯を閉じます。愛らしい少女の絵はラヴェルの名曲亡き王女のためのパヴァーヌのインスピレーションにもなりました。その後レオポルト1世は再婚し、3度目の妻との孫がマリア・テレジアになります。

(出典:https://en.wikipedia.org/wiki/Margaret_Theresa_of_Spain

 

ハプスブルクの血の濃さに、ジブリ映画「借り暮らしのアリエッティ」の「君たちは滅びゆく種族なんだよ」というセリフを思い出しました。ダイバーシティって大事。

 

さて、ウィーン美術史美術館内には、世界一美しいカフェが入ってます。

ウィーンがコーヒーを知るのは、オスマン帝国との戦いの置き土産からだそうです

 

ここまで見てかなり疲れたので、ハイライトの調度品を手早く回って引き上げることにしました。美術館って見切れないので、どこで妥協するかって大切です。

テーブルの真ん中に置くセンターピースという置物らしいけど、とにかく絢爛豪華

絢爛豪華2。右はアヒルかと思ったら、双頭の鷲の入れ物だそうです。もはや庶民には入れるものが想像できない。

絢爛豪華3。凱旋行進を描いた水盤

お客が来たときのみ使用する儀式用の水盤。普段使いには向かないってことだけはよくわかります。機能美って言葉はこの時代なかったんでしょうか。

 

豪華絢爛4。宝石、貴石が付いた蓋付きボール

極め付けはこちら

チェッリーニ「サリエラ」
黄金の塩入れ。

一度盗まれて、見つかった品だそうです。70億円(当時)の価値だそうです。すご。

オーストリア警察当局は2006年1月21日、ウ…:盗まれた芸術だ! 写真特集:時事ドットコム

インド製の像の置物とリスボンで買った塩入れを組み合わせて作ったもの。ハプスブルクの古くからの所蔵品。唯一理解できる工芸品。かわいい。

これすごいと思いました。船の形の自動演奏機械細工。大砲も打てるそうです。

Kunstkammer Wien: der Schiffsautomat - YouTube

 

サビニの女たちの略奪。女性が足りないため奪ってきたという古代ローマ建国時の逸話

絢爛豪華の最後は聖母子像を見て心を落ち着けます


現実世界に戻ってきました。

 

見たいものは見たし、ハプスブルクコレクション素晴らしかったです。長くなったので、3日目後半は次回に続きます。

 

それでは長い投稿にお付き合いいただきありがとうございました。

 

ボストンクリスマス

12月中旬に研修で一週間アメリカ(ボストン、サンフランシスコ)に行ってきました。

 

ホリデーシーズンを控え、ボストンはクリスマス一色でした。

ボストンで滞在したホテルのクリスマスツリー

東京やニューヨーク、ロンドンのような商業的な華やかさがあるわけではないけれど、街や生活がホリデーモードに何気ない体で彩られているのが素敵だったので(クリスマスがすぎる前に)ご紹介します。

ホテルのエントランス

夕食を食べに行く以外時間はほとんどありませんでしたが、ボストンを出発する日に2時間半ほど自由時間があったので街歩きしました。

朝のオールドサウス集会所

ボストン茶会事件の発端となった集会所です。ここで茶葉投棄の合図が出され人々は港に向かいました。

 

人気カフェ、ジョージ・ハウェルの前

朝9時前でしたが、カフェはすでに混んでました。昼食ではなく、土曜に朝食を食べにくるってなんかいいな、と思いました。

 

クラシックなアメリカという感じが素敵です

 

金融街を抜けてボストン・コモンに向かいます

アメリカ最古の都市公園であるボストン・コモンのクリスマスツリー。

毎年ノバスコシアから贈られるそうです

夕方以降に来る方がよさそうです
Photo from https://novascotia.ca/treeforboston/

ボストン・コモンを通り抜け、ボストン屈指の高級住宅街、ビーコン・ヒル地区へ。

栗通り。ガス灯がまだ点いていました

この高級住宅街は、他にもwillowとかspruceとか木に関連する地名が付けられているようです

19世紀の煉瓦造りの邸宅が密集して並んでいます

どんなにお金持ちでも土地は限られているので、駐車は路駐がデフォ

どの家の扉にもリースが飾られていました

玉石が敷かれている最も有名な通り、Acorn Street (どんぐり通り)

アメリカの全ノスタルジーがここにある気がする

クリスマスツリーをデリバリー中の自転車に遭遇しました

電動なしで坂をぐんぐん登っていく自転車を見送る

ビーコンヒルの目抜き通り、チャールズストリート

スーパーでもリースが山積みで売られていました

 

こちらは夕食を食べに行ったときに撮影したクインシー・マーケット

クインシーは当時の市長の名前。実際はクインジーと濁って発音する人が多いようです。

ドーム下の古い看板がいい味を出していました

1階はキャンディケーン調にデコられたフードコート街

ファニエルホール前のクリスマスツリー

奥に見えるのは、旧関税局のカスタム・タワー

現在は移転により売却されて、マリオットのホテルになっているそうです。

 

ウィーン・プラハ旅行記が終わった後、アメリ旅行記も更新したいと思ってます。それでは年末に向けた忙しない毎日かと思いますが、よい holiday season をお過ごしください。

ウィーン・プラハ旅行記3。祖国に反旗を翻した男の夢の跡、ベルヴェデール宮殿。

ウィーン2日目の午後はベルヴェデール宮殿からスタートです。ベルヴェデールは門外不出の「接吻」をはじめ、世界最大のクリムトのコレクションを所蔵するオーストリアを代表する美術館です。

 

屋敷は、上宮(Upper Belvedere)と下宮( Lower Belvedere)から成り立っていて、高低差のある二つの宮殿をバロック造園建築の最高峰と言われている庭が繋いでいます。

こちらが上宮。2023年は建設300周年だそうです

奥に見える赤い屋根の宮殿が下宮

上の写真でも分かりますが、傾斜地に立っているため、特に上宮からは美しいウィーンの街が一望できます。そのため、美しい眺め(ベルヴェデール)と名付けられたそうです。

 

上宮のエントランス正面には大きな池もあります。

やっと天気が良くなってきました

 

世界的に人気なクリムトが所蔵されている美術館なので、時間枠で見学が指定されていますが、ウィーンパス購入者にはいつ訪れても入場できる特典があります。

www.viennapass.de

観光地ってそれほどたくさん回れるわけでもなく、それを考慮するとこういう観光パスはすごくお得感があるわけではないですが、いちいちチケットを購入しなくてもよい便利さや、本来有料だったら寄らない場所が思いの外素晴らしかったなどの機会費用を買うという意味で、自分は観光地に行ったらパスを購入することが多いです。

 

それでは入っていきます

 

豪華な大理石の間

天井に続く部分、立体彫刻のように見えますが、平面に描かれてます。絵画技術ってすごい。

シャンデリアもすごい

 

天井絵(フレスコ画)。ちゃんと下から見上げて見るように描かれた構図なんですね。

上ばかり見て首が疲れました。


ベルヴェデール宮殿はハプスブルグ家に売却される前は元々彼の屋敷でした。

ハプスブルク帝国を支えた軍事の天才

プリンツ・オイゲン・フォンサヴォア

オイゲンはフランス貴族としてパリに生まれ、高い教育を受けて育ちます。しかし、母親の宮廷スキャンダルや容姿による差別のため、ルイ14世よりフランス軍将校になることを幾度となく拒否されます。屈辱と絶望を胸に、彼はフランスの宿敵ハプスブルクに仕えることを決意します。というよりも、志願した彼を拾ってくれたのがハプスブルクでした。

その後は、オーストリアの軍人として目覚ましい戦績をあげ続け、最強と恐れられたオスマン帝国、そして母国フランスを生涯苦しめ続けました。

 

教訓:人を見誤ってはいけない

 

彼が軍事の天才としてヨーロッパ全土に知られるようになった頃、フランスの宮廷人が、希望なんかないような子だったのに、と回想したそうです。

出典:https://de.wikipedia.org/wiki/Eugen_von_Savoyen

 

ベルヴェデーレ宮殿は、移民としてウィーンにやってきた青年が、覚悟と才覚で築き上げたつわものの夢の跡。彼は生涯独身だったため、死後、宮殿は姪の手を経て、ハプスブルク家に売却されました。

 

 

さて、次なるつわものはこちら。教科書で見たよ、お前ここにいたのか、の一枚。

ダヴィッド『サン・ベルナール峠を越えるボナパルト

実際はラバに乗って震えながら峠越えしましたが、ナポレオンからの画家への注文は


盛れ。加工しろ。

 

なので、こうなりました。俺に似せたってしょうがない、才能を感じさせろ、と言ったナポレオンは、人は如何にイメージに左右されるか、というそこのところよく分かってるなと思います。

宣伝ポスターは一枚じゃ到底足りないわけで、同じ構図の絵がこれをふくめて5枚制作されています。

 

 

おもろい顔大会も開かれていました

 

メッサーシュミットはこういう特徴的な表情の頭像で有名な彫刻家

心を病んだ自分をモデルに制作したそうです。病んだ自分が制作の源ってすごい話だな、と思いました。

 

さて、ここからクリムトです。

暖炉にあたる女性

これいい絵ですね。暖炉の火のはぜる音が聞こえてきそうな静かな絵です。

 

フリッツァ・リードラーの肖像

詳細な人物描写と幾何学的な背景の対比がおしゃれで、ウィーンの洗練を絵にしたらこうなった、みたいな絵。椅子の模様が、エジプトの目(ホルスの目)っぽいなと思ったら、やはりそうだそうです。

 

映画にもなったので有名な、ニューヨークのノイエ・ギャラリーにある、「アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像 I(黄金のアデーレ)」にもホルスの目が使われてます。

Picture from https://www.neuegalerie.org/sites/default/files/2018-11/2006.04_thumb.jpg

ナチスによって個人から略奪され、戦後所属権を争った映画はこちら。それまでは、ここベルヴェデーレに所蔵されていました。

www.youtube.com

 

 

さて、次はクリムトの代名詞になっているこちらです。

接吻

まばゆい。金がここまで効果的に使われている作品って他にないと思います。クリムトは彫金師の息子だそうですが、生まれた家のリソースをフル活用してます。資源の最適活用が成功の基本ですが、クリムトもその一人。

 

金の使い方は尾形光琳の屏風にも影響を受けているそうです。



家族

顔色の健やかさと、暗色の背景が印象的な絵。ここまで見たら、クリムトの絵が人気な理由分かってきた気がする。顔の表情が色鉛筆で描いたみたいに柔らかいから、モダンなのに親しみやすいんだ、たぶん。

 

アダムとイヴ

堕落へと落ちるイヴではなく、性を肯定する女性美を描いたのだそう。女性が大好きすぎるクリムトが描いた全くエロくないヌード。後ろの冴えない顔のアダムはもはや霞。

 

女性と猫好きなおやじでした
Photo From https://www.culturedmag.com/article/2023/03/08/gustav-klimt-artist-painter-the-kiss

アマーリエ・ツッカーカンドルの肖像

クリムトが制作途中で亡くなったため、未完。未完ゆえの良さってあります。

 

クリムトの顧客は裕福で教養高いユダヤ系が多かったそうですが、この絵のモデルの女性もナチスの犠牲になりました。戦後、黄金のアデーレと同様に所有権が争われた一枚。こちらはオーストリアが所蔵。

 

 

クリムトは風景画も良き。

Forester's house in Weißenbach I(日本語タイトルわかりませんでした)

この埋め尽くす花の数がキューケンホフ公園を思い出させる。

2023年キューケンホフのエントランス

ひまわり

接吻と似たような構図だなと思いました。俯いた姿に、聖母を模しているとの解釈もあるそうです、なるほどねー。(言われたらそう見える人)

ひまわりの咲く農家の庭

アッパーオーストリアの農家

果物がたわわに実った木々があって、こういうところでバカンスいいですね。

 

ホロフェルネスの首を持つユディト

寝首をかかれてもこんなに喜ばれたら本望です、みたいな絵。

 

 

出てきました

ベルヴェデーレでのTakeaways:

1. 人を見誤るな

2. イメージ戦略を持て

3. リソースをフル活用せよ

以上。

注:美術館です

 

さて、有意義な学びがあったとこで、ここからはウィーン中心地をブラタモリします。

ウィーンは路面電車が本当によく走ってます。ここにも4本写ってます。

よくみると、カジノもバーガーキングもマックも大麻ショップもあるのに、なぜかシックに調和する街。ウィーン、おそろしい子

 

ウィーンの目抜き通り、ケルントナー通りを進んでいきます

 

シュテファン大聖堂の手前で左折してグラーベン通りへ。

ペスト記念柱

よく一本の柱をここまでデコったなということに感動。これはマリア・テレジアの祖父が建てたもの。ペストは何度も定期的に流行し、人々を苦しめました。

 

グラーベン通りの突き当たりには、ウィーンの高級スーパー、ユリウス・マインルがあります。

日本でいう明治屋とか成城石井的存在

 

観光客で賑わってます。ヨーロッパなのにサービスが行き届き、店員さんたち非常に感じが良いです。


もともとはコーヒー豆専門店だったため、コーヒーの自社ブランドが豊富です

中段のウィーンブレックファスト買いましたが、美味しかったです。ホールビーンズで売ってる商品も会計時頼めば挽いてくれます。

お土産に最適なモーツァルトやエリザーベトのパッケージもあります。コーヒー屋のコーヒーなので、味も絶対外れないのがいいです。

 

オーストリアの本気のジャム愛を感じる陳列棚。

親に頼まれて、上段2段目にあるこのシュタウトのアプリコットジャムを買った

果物の味が濃くてブランデーの香りもして、これめちゃくちゃ美味しかったです。今までジャム舐めてた。(まあ舐めますよね、物質的消費には)

 

でも日本のアオハタ55も十分美味しいです。

 

 

 

中食的なものも売ってます。

ウィーンはオーバーツーリズムで人気レストランは長蛇の列なので並んで疲れたり、ハズレを引くより、こういうのをピックアップしてホテルでゆっくり食べるのもいいかもしれません。

 

結構本格的な寿司も並んでました。美味しそう

ユリウス・マインルを出て、コールマルクト通り(ブランドショップ通り)を歩いてデメルに向かいます。

 

デメル本店に到着

カフェ待ちの長蛇の列ができてます

 

ナルトもデメルデビューしてました

オレンジレッドがなんかわからんけど高級感を漂わします

とりあえず定番のザッハートルテを買いました。ちょっと甘すぎるけど、チョコレートにシャリっと感を出す技術は流石デメルでした。

 

17時になりました。朝からずっと歩いて疲れたので、一旦アパートに帰ります。

シュテファン大聖堂が見えてきました

 

でかいなあ

 

ハプスブルクの教会なので、屋根にも紋章の鷲がついています。かっこいい。WW2後修復されてますが、それにしてもこの急な傾斜にどうやってタイル張ったんだろう。高所恐怖症でなくても、ふらっとしそう。

Photo by https://en.wikipedia.org/wiki/St._Stephen's_Cathedral,_Vienna#/media/File:Wien_-_Stephansdom,_Dach,_nordseitige_Wappen.JPG

 

正面のファサード

 

中には翌日入ります

 

アパートに行くと、今日は流石にパスコード有効になってました。昨日のうちにやってくれよ。

okuno.hatenadiary.com

 

少しゆっくりして、20時過ぎ夕食に向かいました。疲れたので近場で済ませます。

夏時間もありますが、5月なのでヨーロッパは9時ごろまで明るいです。

 

着きました

 

昨日は入れなかった、スペアリブの人気店

Mariahilferbräu (マリアヒルファー・ブロイ)

https://maps.app.goo.gl/jBVpUmcg4Ktxax1YA

地元の人にも人気で、シュニッツェルやスパッツェルなどの郷土料理とビールがカジュアルに楽しめます。

 

酔っ払っておっちゃんたちが陽気にジョークとばしあってました。楽しそうで良き。

 

少し甘めでローリエなどハーブやスパイスが効いていてジューシーで本当に美味しかった。すごいボリュームだけど、骨もあるので意外にいけた。マヨネーズは苦手なんですが、このソースも美味しかった。このちょっとしたサラダも良くて、玉ねぎの甘さが肉ととてもよくマッチしました。

 

この日もたくさん歩いたので、ホテルに帰ってソファで来週の授業の確認をしようと思っていたのですが、授業資料を眺めているうちに寝てしまいました。

 

これでウィーン2日目終了です。今日もお付き合いいただきありがとうございました。

 

ウィーン・プラハ旅行記2。シェーンブルン宮殿

ウィーン二日目の朝です。

 

オーストリアを代表する観光地シェーンブルン宮殿は、日中は激混みで入場に数時間待ちも当たり前ということで、多くのアングロサクソンの弱点であり、大抵のアジアンの特技であるコードネーム”早起き”という作戦を仕掛けることにしました。

 

8時半(開館時間)に合わせて行動開始。

人影ほぼ見えず、作戦成功の模様

ただこの戦法の唯一にして最大の弱点は、

誰でも思いつけるためもはや戦法ではないということで、

実はすでに人はそれなりにいて、受付の人に、

”今すぐのツアーに入る?枠はあと2名よ。次だと10時の回になるけどどうする?”

というくらいの薄氷の勝利でした。

 

シェーンブルン宮殿の外壁の黄土色は、シェーンブルン・イエロー呼ばれているそうです。黄色は富の象徴ですが、特にハプスブルク家によって使われたこの色は、ステータスの象徴として、領内の大貴族の屋敷や教会などに採用され、徐々に裕福な庶民そして農民にも浸透し、当時のオーストリアを代表する色になりました。

(出典:https://secretvienna.org/i-want-schonbrunner-gelb/

もともとは夏の別荘なだけなのに部屋数1400室。エンドレスかくれんぼが可能

ツアーでは40室が一般公開されています。残念ながら撮影不可だったのですが、まあ、よくこんなに手を変え品を変え豪華にしたもんだなという部屋が延々と続きます。

 

ヨーロッパにハプスブルク家ありと言われた権勢とそれに付随する強力な富の吸引力を改めて感じました。ただ、フランツ・ヨーゼフ1世の書斎は、彼の真面目な性格を反映して簡素でした。

 

彼の奥さんは美貌で有名なこの方。

オーストリア皇妃エリーザベト
Photo from New York Times
https://www.nytimes.com/2022/10/07/movies/the-empress-corsage-sisi.html

音声ガイドによると、彼女の美への執着は非常に強く、食べない、運動する、が基本スタンスだったそうです。実際に使用した運動器具なども展示されていました。

 

30代半ばからは写真を撮られたり、絵画に描かれるのを嫌がるようになったそうで、若い綺麗なころの自分を皆に記憶していてもらいたい、という彼女の望み通り、当時も今も「美しい人」のまま人々の記憶に凍結されています。

 

さて、1時間のツアーが終わり、庭園に移動しました。果樹園、動物園などがある広大な庭園は無料で解放されています。

藤が満開でした。藤って日本の固有種なの知りませんでした。

 

見てきませんでしたが、日本庭園もあるそうです。

まだ5月ということで、内陸国オーストリアの花の季節はまだ先です



とりあえず、目指すのは丘の上に建つグロリエッテ。

最短距離を移動してもグロリエッテまで1キロ以上あります。

宮殿見学の疲れを庭園で癒しましょう、みたいなことがパンプレットに書かれていたけれど、いや、疲れ倍増だから、というくらい広大な敷地です。

 

中間地点とも言えるネプチューンの噴水に到着

ヨーロッパの噴水あるあるだと思うのですが、彫刻の存在感がありすぎで、噴水というより水場にある彫刻です。

 

シェーンブルンは、ドイツ語で美しい泉という意味ですが、今でも水が庭園内に沸いているそうです。ちなみに、ウィーンの水道水はアルプスの雪解け水を使用しているため美味しいことで有名です。実際アパートメントの蛇口から水を飲んで、え、うまっ!とコップを2度見しました。(オランダの水道も水質的には飲料可でしたが、うまいかどうかはまた別問題です)

 

丘を登ってきました。

マリア・テレジアの命で建設されたグロリエッテ

今でもガラスの天井、と女性の社会進出を妨げるバリアはありますが、マリア・テレジアの時代もありました。父の後を継いだとはいえ、彼女は女性なので、神聖ローマ帝国の皇帝にもなれません。そしてハプスブルク当主になるや否や、女のお前を当主として認めてやるかわりに領地を分けてよこせとハプスブルク潰しが始まりました(オーストリア継承戦争)。彼女は赤ん坊を同伴して領内を駆け回り戦いを乗り切りました。グロリエッテはその戦勝の記念建造物です。

 

20年間で16人の子供を産みながら、激動のヨーロッパの真ん中で政治手腕に長けた君主としてハプスブルグ帝国を支配しました。ちなみに、娘のマリー・アントワネットが美しいと有名ですが、実は母親のマリア・テレジアの方が美人として有名でした。

 

若き日のマリア・テレジア
Picture from ウィーン美術史美術館
https://www.khm.at/objektdb/detail/2413/

 

こちらはマリー・アントワネットマリア・テレジアの面影もあります。

翌日訪問したウィーン美術史美術館で撮影

説明には、フランスに住む娘から来たこの絵を見て、娘の元気な様子にマリア・テレジアは大喜びをして宮殿に飾った、と書かれてありました。その後の歴史の激動はまだ誰にもわかりません。

 

さて息も絶え絶えに登ってきた報酬として、この丘からはシェーンブルン宮殿の背後に、ウィーンの街並みが一望できます。

中央右にはシュテファン大聖堂の尖塔がみえます。

しかし、ウィーン・パスを購入した者にはさらに高みを目指す権利が与えられています。(普通に入場料をエクストラで払えば誰でも登れます)

というわけでグロリエッテに登ります

 

おー、やはり違います。素晴らしいパノラマビュー。



右手にはグロリエッテにまっすぐ続く道路と、ヴィエンナ・ツインタワーも見えました。



中央の鷲のモニュメント。冠と笏をしっかりと保持。継承戦争に勝ったという万感の思いが伝わる彫刻

ということで門まで戻ってきました。時刻間もまもなく12時、激混みになってきたシェーンブルン宮殿を出発しました。


U4(地下鉄4号戦)に乗って、カールスプラッツ駅まできました。お昼ご飯の目的地まで歩いていきがてら、街中散策。

ウィーン工科大学

 

カールス教会

マリア・テレジアの父、カール6世がペスト撲滅祈願のために建てた教会。世界中を震撼させたペストの前になすすべもなく、神に祈るという最後の一枚の切り札感を感じる、荘厳さ。Covid-19 を経験した我々にも、パンデミックへの不安や恐怖は共感できます。

 

世界の環境は我々が守る、と意気込むEU (最初に汚したの君たちだけど)、電気自動車の普及率は高いです。



日本国旗が掲げられているのは、高級ホテル、ホテル・ブリストル

場所柄、ラフマニノフホロヴィッツカラヤンバーンスタインなどなど今も昔も世界の名指揮者演奏家たちの常宿です。

 

とても長い路面電車


目的地に着きました。

 

ウィーンの有名なホットドックスタンド、愛嬌のないうさぎが目印の

Bitzinger Sausage Stand

https://maps.app.goo.gl/p2LTuaFTCAcWN87w8

長蛇の列ですがさくさく進みます

現金のみなのでそこだけ要注意です。前の人が現金がなくて、友人に声掛けしたりして10分くらい待ちました。

買ったら、スタンドやそのあたりに腰掛けて皆食べます。

 

実物の画像がないので、画像拝借しました

Photo from Just Go Places
https://justgoplacesdotme1.wordpress.com/2015/02/04/the-best-sausage-stand-in-vienna/

 

ウィーンのホットドックは、バゲットに穴を開けてそこにソーセージを挟みこむという、絶対ソーセージが落ちない合理的スタイル。そしてドイツもそうですが、肉食文化圏はやはり肉を調理するのが上手です。スパイスの配合が日本のソーセージと違うのか、しみじみ美味いです。

 

このお店の素晴らしさは、こちらの建造物を眺めながら食事できるところにもあります。

オーストリア国立歌劇場
音楽の都、ウィーンの聖地の一つです。ウィーンで年越しするならここで「こうもり」聴きたい。

実はソーセージブレッドを2個購入して、余ったら後で食べようと思っていたのですが、朝ごはんを抜いて、広大なシェーンブルン宮殿を歩きまわっていたので、エネルギー不足だったのか2本完食。エネルギーチャージ完了したので、次の目的地、ベルヴェデーレ宮殿に移動しました。

ベルヴェデーレ宮殿ハプスブルク家の持ち城の一つ。

ウィーン市街を見て感じたのは、あれもこれもハプスブルグの王宮でどんだけ城持ちなんだということです。

 

長くなりすぎてしまうので、一旦ここで締めます。

ベルヴェデーレ宮殿オーストリア第二の規模の誇る美術館で、こちらの絵が所蔵されていることで有名です


それでは、今回も最後までお付き合いいただきありがとうございました。

 

日吉吉日

ご無沙汰しております。

灼熱のような夏を耐えていると思っていたら、なぜかあっという間に師走になっており、慄いているこの頃です。

 

さて関東では神宮外苑の銀杏の色付きが連日ニュースを賑やかせていますが、日吉キャンパスの銀杏並木も見頃になっています。

快晴の日で、加工したのかというくらいイチョウが輝いていますが、無加工です。

神宮外苑はスタイリッシュに剪定されていますが、日吉のいちょうはもっとのびのび "いちょう" らしい。

近所の方や保育園のこどもたちの散歩コースにもなっておりますので、神宮外苑行きたいけど激混みだしなあ、という方には日吉のイチョウもなかなかおすすめです。

 

ちなみにこちらは12月初めに側を通りかかったときの神宮外苑です。

現在円安で外国人旅行者のお財布に優しい日本。日本語に混じって多言語が飛び交っていました。

緑から黄色に移り変わっていくコントラストも美しい

隣には日本が誇る商社、伊藤忠の東京本社。もはや見慣れた風景なのか、それともイチョウを愛でている暇などないのか、窓には人影見えず。



秋学期は5限がある日が多いです。

贅沢品の消費文化を社会学と経済学から考える。有閑層の見せびらかしとそれに憧れる一般人。結局人は感情の生き物だということ。なかなか面白い授業です。

授業が終わり外に出ると、マテリアリズムの灯りがきらきら。

真っ暗、そして寒すぎる。

あまりに寒いので電車に乗る前に、暖をとるためスタバへ。

エクストラホット、85度で作ってもらいました

シロップをホワイトモカにすると美味しいと先輩に教えてもらいましたが、本当でした。ジョイフルティラテ、おすすめです。

 

11月にはIMFのディレクターの方との座談会がありました。努力を継続すること。結局マジックなんてないもんなぁ。

 

最近週に数度ジョギングしていますが、月並みですが朝の空気は清々しく、誰もいないキャンパスを駆け上がって行くのも気分爽快です。

奥に見えるのは日吉記念館、通称リンカーン・メモリアル

まだ手垢が付いていない1日っていうのを感じられるのが早起きの良いところですよね。早起き苦手ではあるのですが、この一瞬のために起きる。

武蔵小杉のタワマン郡も朝日に照らされてます。

谷川俊太郎の詩「朝のリレー」を思い出します。

”この地球では

いつもどこかで朝がはじまっている

ぼくらは朝をリレーするのだ”

 

いつも会う猫たち。いつ会ってもこの悪い顔。そこがかわいい。

矢上キャンパス側。夕焼けが美しい日でした。

 

とりあえず12月は、もう少し頻度を挙げてブログを更新し、年末までに書きかけのウィーン・プラハ旅行記を終わらせたいなと思っています。

今ちょっと出かけているのですが、こちらも帰国後ご紹介したいと思っています。

それでは、お忙しい時節かと思いますが、どうか体調に気をつけてお過ごしください。





ウィーン・プラハ旅行記1。トラベルはトラブル。ウィーンの夜道で立ち往生

早いもので日本に帰国して3ヶ月経ちました。

大学も10月から授業が始まりました。それにしても、この1年間で日本のインフレはかなりだったんですね。大学近くの焼き鳥屋さんの焼き鳥の値段が、80円から120円に上がっていました。150%上昇ってやばいです。

 

さて、夏休みは長期のプログラムに参加したり、コロナに罹ったりとブログを書いていなかったのですが、2023年5月18日から23日まで行ったウィーン、プラハ旅行の記事から再開したいと思います。よかったらお付き合いください。



 

出発日の5月18日はキリスト昇天祭でした。この日はベルギーやフランスなど他のヨーロッパの国同様オランダも祝日でした。もちろん、オーストリアもです。(ここ一番大事)

 

14時過ぎに大学最寄りのオード・プランタージュ駅を出発。この駅、いつも使ってたのでなんだか懐かしいです。

ロッテルダムセントラル駅で乗り換えて、スキポール空港を目指します。

このとき乗ったインターシティは新車両でとても綺麗でした。

スキポール空港は激混み空港として有名なので余裕を持って行ったら、EU域内移動ということでさくさくチェックインできて、15時半過ぎには出国エリアに。17:40の出発まで2時間もあるんだけど。

しょうがないので、エリア内をぶらタモリ

鮮やかな青いユニフォームはオランダのフラッグ・キャリア、KLM(オランダ航空)のもの。

ロッテルダム市内でもこの制服を着て通勤退勤中の職員の方を日常的に見かけました。KLMの制服とスーパー、アルバートハインのバッグは青いからよく目立ちます。

 

オランダといえばチューリップ。空港でも球根が販売されています。

ちなみに左の前列はオランダ土産の定番の一つ、木製のチューリップ。そして奥に陳列されているのはチューリップの切花です。ヨーロッパは花を送り合う文化があるので、移動が数時間のEU圏内だと、確かによいオランダ土産になりそう。

 

ここに来ると、とりあえず場所と飲み物(と安全)をいつもの手順で確保できるという意味で、スタバはもはや世界のインフラ。

 

アムステルダム〜ウィーン往復は、オーストリア航空を利用しました。機内は、オーストリアの国旗を彷彿させます。

17時40分出発予定ですが、搭乗開始は17時30分過ぎ。当然ながら遅れる。

チケット代は日本円で往復3万円ほどでした。色々格安チケットを探したのですが、吊り値段には手数料や燃料サーチャージなどが別になっている場合がほとんどで、あるあるですが全てを加味すると結局空港会社から直で購入するのが一番安いということが判明。

やっと離陸しました。

左に見えるのは、アムステルダムと北海を結ぶ水上交通の大動脈、北海運河。河口には欧州最大規模の排水設備(アイマウデン閘門)が目視できます。

上空から一望する運河群。オランダにいると運河、水路は見慣れた光景であるものの、空からみるとやっぱり圧巻です。

水と生きる、はサントリーのキャッチフレーズですが、むしろこの言葉はオランダに捧げたい。

 

スキポールとウィーン間の飛行時間は1時間50分でした。

オーストリア航空の機内サービス、チョコレート1個。以上。

 

高度が下がるにつれてどんどん緑が濃くなってきました。久しぶりに森らしい森を見ました。内陸に来たことを実感します。

 

ヨーロッパは強い偏西風の影響下にあるので、世界的にみて風力発電が非常に盛んな地域です。なのでオランダも含めて農業地帯では、風力タービンが林立しています。

 

19時40分にウィーンに到着。

 

入国にどれくらいかかるかなと思っていましたが、そういえばEU域内。チェックも一切なく、あっという間に10分後には到着ゲートへ放出されました。

 

ウィーン国際空港は、賑やかなスキポール空港に比べると地味で小ぶりな感じの空港でした。

 

この時点で20時過ぎ。予約しているアパートのチェックインは22時までなので、余裕で間に合うとは思いましたが、とりあえず最速かつ簡明なシティエアポートトレインを利用してウィーン・ミッテ駅まで移動することにしました。

専用のプラットフォームもあり、さらに降車するウィーン・ミッテ駅がターミナル駅なので、ウィーン初心者及びドイツ語弱者に優しい仕様。その分料金は高いけど。

 

列車内。清潔ではあるけれど特筆事項なし。

ウィーン・ミッテ駅から隣接するラントシュトラーセ駅に移動して地下鉄4号線(U4)に乗り換えます。

打刻機。ヨーロッパあるあるですが、改札がないので自分でチケットを打刻しなければいけません。

これをうっかり忘れて検札に引っ掛かるとなかなか高額の罰金(最低105ユーロ)が課せられます。

 

U4に20分ほど乗って、10分歩いて、9時半には宿泊施設に着けるはず、荷物置いたら速攻夕飯に行こう、とこのときは思っていた。

ウィーンの地下鉄の印象ですが、乗っていて思ったことは、なんか居心地悪いなということです。移民街を走る路線であること、時間帯が遅めというのもあるのかもしれませんが、とにかく乗客の視線を四方から感じました。また、決定的なものがあったわけではありませんが、なんか人に余裕がないような感じを受けました。

 

今回はウィーン15区にあるアパートメントハウスに3泊予約しましたシェーンブルン宮殿まで徒歩で15分ほどで行け、一泊80ユーロくらいと観光都市ウィーンとしては値段も安かったです。

 

最寄りはランゲンフェルトガッセ(Längenfeldgasse)駅。移民多めの労働者階級地区のようです。駅に降り立つと真っ暗(ヨーロッパあるあるですが)で、壁はスプレーによる落書きだらけ、警察署もスーパーも明かりは消え、煌々と光るのは大麻の自販機のみ。建物の奥の暗闇で人影がちらほら見えるのが逆に怖い。ウィーンの治安は悪くはないとはいえ、人まばらな道を21時半にスーツケースをごろごろ引いて歩くのは結構緊張しました。

 

5分ほど歩くと、明るい交差点に出て、そこまで来るとアパートメントホテルの入っている建物までは50メートルほどです。事前に教えてもらったパスコードを入り口の門で入力して無事入館。あとは、部屋に入るだけ、と部屋のドアに再度パスコードを打ち込んだところ

 

Unauthorized Passcode!(パスコードは無効です)

 

えっ、おっと、疲れていて間違ってしまったぜ、と再度入力。

Unauthorized Passcode! (パスコードは無効です)

 

え、別のパスコードあったっけ?とメールを読み直したけれど、

 

「このパスコードを入力して門とルームのドアを開けてね!それじゃよいウィーンステイを!何かあったらスタッフがいるから、22時までは以下の電話かWhatsAppに連絡してちょうだい!マリアより」

 

というような内容だったので(実際はもっと詳細に書いてましたが)、パス無効でドア開かないんだけど、という旨を書いて連絡を試みるも、WhatsAppまさかの全既読スルー。

 

まじかよ。電話をかけたくともオランダの通信会社の携帯からは掛けられません。とりあえず22時近くまで待ってみたものの、連絡はついに取れませんでした。

 

これだよ、ヨーロッパ💢!日本じゃ客のメールに既読スルーありえないから!!

 

と心の中で愛国心が着々と育まれていくのを感じつつ、次の一手を考えます。このままでいくと、気温8度の薄暗い廊下でアジアンホームレスになる。それはなんとしても避けたい。

 

幸い、ブッキングドットコムで最寄りのホテルを探したところ、先ほど降りた駅周辺のホテルに空きが1室のみあったので、速攻そこを予約しました。

 

1泊約150ユーロでしたが、抗議して会社側に1泊の返金と新たに予約したホテル代の差額を払ってもらいました。といっても、ここはヨーロッパ、物事がすんなり進むことなど10に1つもあるわけはなく、めんどくさいやり取りが延々と繰り返されます。(それでも、この会社は返信をしてくれて返金をしてくれたのでマシな部類です。抗議を無視してノーリプライという対応も普通にあります。)

以下、メールのやり取り

パスコードミス、そっちの責任です。SNSも時間内なのにスルーしたし。返金と差額払ってください。

 

あなたにとってそれは確かに不幸だった。でも、あなたは電話しなかった、電話なら対応できたのだから、私たちはあなたにお金を払わない。

 

いやいや、外国人だから電話使えなかったんです。代わりにSNSで何度も22時前に連絡しましたよ。

 

私たちはSNSは夜に確認しません。

 

いいえ、あなたたちは確かに確認したのにスルーしてました。証拠のスクショ送ります。

 

。。。上司に確認し、今回は特別にあなたに対して一泊の返金に応じます。

 

いやいやいや、ホテル宿泊の差額もそちらが払うべきです。だって、そちらがパスコードミスしなければ、予約せずにすんだ予約です。

 

上のやり取りを見ても分かりますが、彼らのパスコード設定ミスは"あなたにとって不運だった"のであって、彼らは決して"私たちが悪かった"とはいわないのです。何故なら謝ることは、全過失を認め、全責任を負うことになるからです。

 

その後しばらく返信がなかったため、5度ほど催促した結果、やっと差額も払ってもらえることになりました。こういうやり取り、時間も気力も取られるので好きではないのですが、権利を主張しないと損を押し付けられる。自分を守るために主張し続けなければいけない。それがヨーロッパで暮らすということなんだと思います。

 

若いうちに留学して海外と対等にやっていける国際感覚を学んで来てください、とよく日本で言われましたが、ヨーロッパ流の世界と対等にやっていく術とは、自分のマージンを死守するための主張や押しの強さを体得するというのと同義じゃないかと思います。西洋人の利害が関わったときの態度の変貌ぶりは日本人の想像を超えます。

 

ヨーロッパはため息が出るほど美しい国が多く、豊かな文化が存在し、食べ物も美味しく、素晴らしい人々もたくさんいますが、基本自分を守るための闘いが絶えず繰り広げられている精神的戦場でもあると思います。

 

さて、ちなみに後で調べたのですが、こういうアパートメント型の宿泊施設の場合、コードエラーで部屋に入れないケースは結構あるようです。移動のため無理なこともありますがなるべく早めに宿泊施設に着いておく、あるいは夜が遅い場合はホテルに宿泊するなどして、トラブルを避ける必要があるな、と感じました。

 

さてさて、ホテルが確定したので、先に夕飯を食べにいくことにしました。

疲れたから肉だ!と思い、徒歩10分ほどのこちらに向かいました。

 

ウィーンのスペアリブの名店

Mariahilferbräu

https://maps.app.goo.gl/AnEdDLVbrETK5YvK8

 

しかし、

本来はやっているんですが、今日は祝日だからもう閉めるんです、と言われてしまいスーツケースをごろごろ引きずりながら次の候補へ。

 

深夜0時までやっている、美味しくて手頃とこちらも大人気のお店です。

Gasthaus Quell

maps.app.goo.gl

 

しかし、

ドアには祭日なので本日休みます、との張り紙。祭日って飲食店のビジネスチャンスなんじゃないの?と日本やアメリカ的思想では思いますが、ヨーロッパは家族のため自分のための日ということで日曜祭日は基本店を閉めてしまいます。

 

そういうことで、入れるはずの部屋に入れず、夕飯に向かうも2軒振られ、石畳と相性のこの上なく悪いスーツケースを1時間がらがらと引きずった日本人青年は22時半、祭日のウィーン移民街に、絶望と疲労を滲ませしばらく佇んでいたと伝えられています。

 

しかし、青年は先ほど通ったアパート近くの明るい交差点にレストランがあり、人が食事をしていたというのを思い出しました。

 

ということで移動開始。

Das Eduard

maps.app.goo.gl

まだやってますか?と聞いたら、やってるよ!どうぞ!

 

まじか、よかった!

 

灯がともる店内で席に座れることにしみじみ幸せを感じました。

幸福の閾値が下がると、小さなことに喜べていいですね。花にも和みます。

 

ウィーン名物、シュニッツェルを注文したのですが、ポークは売り切れてチキンのみでした。残念でしたが、チキンで注文。テイクアウトで、これもウィーン名物、アップルシュトゥルーデル(ウィーン風アップルパイ、写真奥)も注文しました。

チキンのシュニッツェルはいわば普通のチキンフライですが、パン粉が細かいからかカリッと歯触りが良く、胸肉は柔らかく美味しかったです。

そして特筆すべきは、このウィーン風ポテトサラダ。

今後はポテトサラダはこれ一択でいいというくらい美味しかったです。ビネガーがしっかり効いていて、ベーコンの塩気もちょうどよく、レタスリーフともとてもよく合いました。これだけでもまた食べに行きたいです。

 

皆楽しそうに会話していて、ご飯も美味しくてよいお店でした

 

ホテルに着いたのは24時。シャワーを浴びた後は、いつの間にかベッドで落ちていました。この旅で一番疲れたのがこの初日でした。

 

次回からは、世界を魅了するヨーロッパの美しい風景をたくさんご紹介していきたいと思います。今回もお付き合いいただきありがとうございました。