この日は朝5時起きでプラハに向かって出発しました。
ウィーンは地下鉄が24時間走っているの早朝深夜の移動も非常に楽です。地下鉄といっても、よくお世話になった4番線、6番線はほとんど高架を走ります。
プラハへはウィーン中央駅6:39発のREGIO JET。片道14.40ユーロで購入しました。安い。
ウィーンからプラハへは、ブルノを経由していきますが、車窓には雄大なモラヴァ丘陵が広がります。
見渡す限り小麦畑が広がります。
後で知りましたが、モラヴァ地方の穀倉地帯は映えスポットとしてとても有名なのだそうで、車窓も十分美しいですが、下のような絶景が見られるそうです。
氷河侵食を受けた乏しい土地の地力回復のため、混合農業の一環で菜種油の原料にである菜の花が植え付けされています。(地理オタクなので、こういうことを語らせると止まらない)
4時間ちょっとでプラハ駅に到着しました。まずは、ホテルに荷物を預けにいきます。
そばに寄ってきて、何処から来たの?など質問してきて興味深々でした。
駅から徒歩15分ほど、石畳のせいでスーツケースを持つ手が結構だるくなってきた。
ホテルはヴルタヴァ川沿いにあり、カレル橋の脇の階段を降りてすぐでした。
この写真をみて、あれっ?て思った方は、ミッションインポッシブル通です。ミッションインポッシブル(1996)ではプラハが舞台になっており、この階段が使われています。
僕は気づかなくて、後から親が教えてくれました(そんな映画詳しくないのになんで知ってるのか不思議)。
宿泊ホテルは、アーチボルドカレルブリッジ
www.archibaldatthecharlesbridge.cz
booking.comから予約したのですが、とにかく立地が素晴らしく、プラハ観光におすすめです。16世紀に建てられた建物をホテルにリノベしています。モダンで使いやすいのに、雰囲気もあって、それなのに1泊90ユーロ朝食付きと、良いホテルでした。
ホテルには常時軽食が準備されていました。少し食べてから出かけます。
まずはプラハ城に向かいます。
カレル橋には両端にBridge Towerが二つあって、反対側にはOld Town Bridge Tower(旧市街)があります。そちらの塔は登れるようなので、後で登っていきます。
プラハ城に行くためには、the New Castle Stairs を登っていきます。高低差80mだそうで結構きつい。
階段を上り切るとこの絶景
広場を抜けてプラハ城に入っていきます。
奥にはプラハ市街が見えています。
衛兵とタイタンの2頭体制で門を守ります。
城内に入ると、チェコ内教会ヒエラルキーNo.1の教会が聳えています。
それでは大聖堂内を見学していきます
聖ヴィート大聖堂Must-See3位。ミュシャ作のステンドグラス
ミュシャはチェコ出身だそうです。名前からパリのイメージがありました。調べたら、Muchaをミュシャと読むのは仏語で、チェコ後ではムハだそうです。それならチェコ人っぽい。ちなみに英語ではムカです(一部の人はムーチャ)。
こっちはクラシックなタイプ。どのステンドガラスも素晴らしかった。
教会内には区画で区切られた祭壇がたくさんありました。
大聖堂のMust-See2位。聖ヤン・ネポムツキーの墓。
司祭として王妃の告解の内容を王に漏らすことを拒んだという罪で殺され、カレル橋から川に投げられたという高潔の氏(という設定)。実際は怠慢だとか傲慢だとか、反抗的とか、何か別の理由があったらしい。
歴史というのは、ファクトチェックに限界がある世界なので、後世の人々によって史実に沿った虚実が作られがちです。
全部で2トンの純銀が使われているそうです。せっかくの銀、財政政策などもっと良い使い道あったような気もしますが。
すぐ硫化して黒くなりそう。磨くの大変だと思います。
大聖堂Must-see1位。
とにかくきらっきら。金の壁にきらっきらの石がたくさん嵌め込まれているとか。
おまけ
そうだよ、怒んなきゃちゃんと。悲しそうな顔してたってヨーロッパで生けていけないって。
ヨーロッパの精神は、"権利はなくとも主張せよ" です。
教授に、(期末)テストを無くすべきです、ある意味が私たちには不明です、とそれ以外選択肢はないような強気さで主張します、学生が。(テストはありました。)
次はお向かいの旧王宮へ。
ヴラジスラフ・ホール
現在でも、このホールで重要な公式行事が行われているそうです。
王宮の展示には、古い王家の旗があったり、
笏や王冠があったり
かつての持ち主の方々の肖像画があったり。
次はピンクオレンジがおかわいらしいこちらの教会へ。
外観のイメージとは違って、中は落ち着いて荘厳な感じ。
仄暗さが心地いい教会内
天使がいろんなところから発芽しているタイプの額(なのか祭壇なのか)、ヨーロッパに多いですよね。
最後に黄金の小道に寄りました。王宮裏にある、衛兵が住んで、その後金細工師が住んだ住宅が並んでいます。
22番は作家カフカが住んでいたそうで、カフカが好きな母にポストカードを買ってみた。
超レトロな映画のポスター
プラハ城は総面積70,000平方メートルと世界一広い敷地をもつ城だそうです。
その前に喉が渇いたので、プラハ城に隣接しているスタバに寄って行きます。
日本の方もいて、日本語聞こえてました。
春にしては結構気温が高い日だったので、階段を上がり切ったわんこたちが放熱中でした。
今回のタイトルは「プラハの春」から借用しましたが、プラハからウィーンへの帰りの電車でウィーン在住の元チェコ人の方と話をして、1968年の民主化運動であるプラハの春の話を聞く機会がありました。
彼女がいうには、民主化は良いことのように言われていますが、プラハの春以前の生活は必要なものは手に入り、皆が持ちつ持たれつ助け合って生活し、治安もよく、外部に報道されているような惨めで貧しい暮らしではなかったそうです。
逆にプラハの春後は、経済が悪化し、物が市場から無くなり、人から物を盗むのが常態化したそうです。「皆が盗むものはないか探していて、優しかった人たちも泥棒になってしまった。」と話していました。
こどもだった彼女は、民主化とは人々が争うことなんだろうか、と感じたそうです。ある意味真実で、民主主義や自由経済は競争したり主張したりすることを人に強いる世界線にあると思います。
プラハの春を実際に経験した方からお話が聞けてとても興味深かったです。ちなみに、彼女の息子は日本とポケモン好きで、この夏彼女と来日するのを楽しみにしてるのよ、とも話してました。
この後カレル橋まで戻って、旧市街をぶらぶらしながらご飯を食べますが、長くなりましたので次回に回したいと思います。それでは、最後まで読んでいただきありがとうございました。