オランダ留学記

トラブルが寄ってくる体質。2022年8月から2023年7月までオランダの大学に交換留学にきています。純ジャパ。

プラハ1日目前半。プラハの春を行く。プラハ城。

この日は朝5時起きでプラハに向かって出発しました。

 

ウィーンは地下鉄が24時間走っているの早朝深夜の移動も非常に楽です。地下鉄といっても、よくお世話になった4番線、6番線はほとんど高架を走ります。

著名な建築家(オットー・ワーグナー)によって建てられたそうで、駅はレトロでおしゃれ。

 

プラハへはウィーン中央駅6:39発のREGIO JET。片道14.40ユーロで購入しました。安い。

世界の車窓からに出てきそうな朝日が差し込むプラットフォーム

 

ウィーンからプラハへは、ブルノを経由していきますが、車窓には雄大なモラヴァ丘陵が広がります。

チェコは隣国のハンガリーと並ぶ中央ヨーロッパを代表する穀倉地帯です

見渡す限り小麦畑が広がります。

小さな街がみえた。どんな人が住んでいるのかな、とふと思いました。

後で知りましたが、モラヴァ地方の穀倉地帯は映えスポットとしてとても有名なのだそうで、車窓も十分美しいですが、下のような絶景が見られるそうです。

photo by Sapporo Beer
https://www.sapporobeer.jp/shochu/triangle/world/vol01/

菜の花はヨーロッパでもっとも見かける農業作物の一つ

氷河侵食を受けた乏しい土地の地力回復のため、混合農業の一環で菜種油の原料にである菜の花が植え付けされています。(地理オタクなので、こういうことを語らせると止まらない)

 

 

4時間ちょっとでプラハ駅に到着しました。まずは、ホテルに荷物を預けにいきます。

観光客あるある。何気ない街並みの写真をたくさん撮りがち。

前を歩いていた中学生くらいの男子が2名、手を振ってくれた。

そばに寄ってきて、何処から来たの?など質問してきて興味深々でした。

 

旧市街広場が見えてきました

駅から徒歩15分ほど、石畳のせいでスーツケースを持つ手が結構だるくなってきた。

これがカレル橋か。とりあえず、荷物を置いてからまた写真を撮りにきます。

ホテルはヴルタヴァ川沿いにあり、カレル橋の脇の階段を降りてすぐでした。

階段の下からカレル橋を見上げる

この写真をみて、あれっ?て思った方は、ミッションインポッシブル通です。ミッションインポッシブル(1996)ではプラハが舞台になっており、この階段が使われています。

階段に向かって走るトムクルーズ

僕は気づかなくて、後から親が教えてくれました(そんな映画詳しくないのになんで知ってるのか不思議)。

階段を登っている最中に、銃声に驚き止まるトムクルーズ

階段をトムクルーズ走りするトムクルーズ

トムが駆け上った階段

宿泊ホテルは、アーチボルドカレルブリッジ

www.archibaldatthecharlesbridge.cz

booking.comから予約したのですが、とにかく立地が素晴らしく、プラハ観光におすすめです。16世紀に建てられた建物をホテルにリノベしています。モダンで使いやすいのに、雰囲気もあって、それなのに1泊90ユーロ朝食付きと、良いホテルでした。

 

ホテルには常時軽食が準備されていました。少し食べてから出かけます。

汚くてすみません。スープが美味しかったです。りんごも。それ以外は可も不可もなく。

 

まずはプラハ城に向かいます。

プラハ城側の門塔、Lesser Town Bridge Tower (小市街?側の門です。)

カレル橋には両端にBridge Towerが二つあって、反対側にはOld Town Bridge Tower(旧市街)があります。そちらの塔は登れるようなので、後で登っていきます。

 

レッサータウンは旧市街と違って人が少なくて、落ち着いた感じ

プラハ城に行くためには、the New Castle Stairs を登っていきます。高低差80mだそうで結構きつい。

プラハは階段も建物も色も、どこもいちいちかわいい。


階段を上り切るとこの絶景

テラコッタの屋根瓦がずっと続く。奥には新市街のビルも見えます。

 

広場を抜けてプラハ城に入っていきます。

門番1。微動だにしない衛兵。共産党時代を少し彷彿させる制服。

奥にはプラハ市街が見えています。

門番2。不審者を始末するタイタン。

衛兵とタイタンの2頭体制で門を守ります。

 

城内に入ると、チェコ内教会ヒエラルキーNo.1の教会が聳えています。

聖ヴィート大聖堂ファサード

プラハ城はなんだか変わった作りで、教会を取り囲むように建っています

こんな感じで、複合施設である王宮のコートヤードに教会があります

それでは大聖堂内を見学していきます

聖堂内は薄いピンクとグレーの石でできていて柔らかな感じを醸し出します

ファサードのバラ窓を内側から見るとこんな感じです

聖ヴィート大聖堂Must-See3位。ミュシャ作のステンドグラス

ボヘミアングラスで世界的に有名なガラスの都、チェコの最高傑作。
ほんとだ、ミュシャだ。

 

こんな絵画みたいなステンドグラス初めて見ました


ミュシャチェコ出身だそうです。名前からパリのイメージがありました。調べたら、Muchaをミュシャと読むのは仏語で、チェコ後ではムハだそうです。それならチェコ人っぽい。ちなみに英語ではムカです(一部の人はムーチャ)。

 

こっちはクラシックなタイプ。どのステンドガラスも素晴らしかった。

お花が置いてありました。なんかいいですね。

教会内には区画で区切られた祭壇がたくさんありました。

聖母マリアの礼拝堂

祈りが込められている場所って神聖な気分になります

至る所に花が置かれていました

中央の石棺の下に、王家の人々の棺が収められているそうです。左に見える説教台、豪華でした

大聖堂のMust-See2位。聖ヤン・ネポムツキーの墓。

顔が見えないけど、てっぺんの方がここの主

司祭として王妃の告解の内容を王に漏らすことを拒んだという罪で殺され、カレル橋から川に投げられたという高潔の氏(という設定)。実際は怠慢だとか傲慢だとか、反抗的とか、何か別の理由があったらしい。

 

歴史というのは、ファクトチェックに限界がある世界なので、後世の人々によって史実に沿った虚実が作られがちです。

カレル橋から捨てられたことは本当なのです
Photo by https://cs.wikipedia.org/wiki/Jan_Nepomuck%C3%BD

全部で2トンの純銀が使われているそうです。せっかくの銀、財政政策などもっと良い使い道あったような気もしますが。

すぐ硫化して黒くなりそう。磨くの大変だと思います。

上の天使も純銀だそうです。え、重いでしょ、そうなら。本当だろうか。

 

 

大聖堂Must-see1位。

聖ヴァーツラフ礼拝堂

とにかくきらっきら。金の壁にきらっきらの石がたくさん嵌め込まれているとか。

アーチのデザインもよき

でてきました。見応えがある大聖堂でした。

大きすぎて別角度から見ると、全然違う雰囲気があります

おまけ

外壁のキリスト。ちょっと怒ってる?キャラ感あってなんか気に入った。

そうだよ、怒んなきゃちゃんと。悲しそうな顔してたってヨーロッパで生けていけないって。

 

ヨーロッパの精神は、"権利はなくとも主張せよ" です。

 

教授に、(期末)テストを無くすべきです、ある意味が私たちには不明です、とそれ以外選択肢はないような強気さで主張します、学生が。(テストはありました。)

 

次はお向かいの旧王宮へ。

 

ヴラジスラフ・ホール

王宮?あれ?広いけど、教会の方が何十倍も豪華だった気が。

現在でも、このホールで重要な公式行事が行われているそうです。

教会の天井も綺麗でしたが、このホールの花みたいで特に美しい

ここで配下の街に異常がないか日課のチェックをしとく(え、何様)

よし、今日も異常は無いようだ

王宮の展示には、古い王家の旗があったり、

笏や王冠があったり

日本だったら、おもちゃにしかついてないような大きな石が付いてました

かつての持ち主の方々の肖像画があったり。

 

次はピンクオレンジがおかわいらしいこちらの教会へ。

聖イジー教会

 

外観のイメージとは違って、中は落ち着いて荘厳な感じ。

壁画が素敵でした

仄暗さが心地いい教会内

 

天使がいろんなところから発芽しているタイプの額(なのか祭壇なのか)、ヨーロッパに多いですよね。

 

最後に黄金の小道に寄りました。王宮裏にある、衛兵が住んで、その後金細工師が住んだ住宅が並んでいます。

 

22番は作家カフカが住んでいたそうで、カフカが好きな母にポストカードを買ってみた。

 

超レトロな映画のポスター

おー、なんかニューシネマパラダイスです、ここ。

プラハ城は総面積70,000平方メートルと世界一広い敷地をもつ城だそうです。

全部は見きれませんが主要なものは見たと思うので、ここで引き上げることにしました

その前に喉が渇いたので、プラハ城に隣接しているスタバに寄って行きます。

世界一眺めがいいスタバの一つと言われているそうです

プラハの街並みが一望できます

日本の方もいて、日本語聞こえてました。

お城側はこんな感じ。下には庭もあって、ガーデンビューも堪能できます

春にしては結構気温が高い日だったので、階段を上がり切ったわんこたちが放熱中でした。

犬好きがわかるのか、この後寄ってきた

今回のタイトルは「プラハの春」から借用しましたが、プラハからウィーンへの帰りの電車でウィーン在住の元チェコ人の方と話をして、1968年の民主化運動であるプラハの春の話を聞く機会がありました。

彼女がいうには、民主化は良いことのように言われていますが、プラハの春以前の生活は必要なものは手に入り、皆が持ちつ持たれつ助け合って生活し、治安もよく、外部に報道されているような惨めで貧しい暮らしではなかったそうです。

逆にプラハの春後は、経済が悪化し、物が市場から無くなり、人から物を盗むのが常態化したそうです。「皆が盗むものはないか探していて、優しかった人たちも泥棒になってしまった。」と話していました。

こどもだった彼女は、民主化とは人々が争うことなんだろうか、と感じたそうです。ある意味真実で、民主主義や自由経済は競争したり主張したりすることを人に強いる世界線にあると思います。

プラハの春を実際に経験した方からお話が聞けてとても興味深かったです。ちなみに、彼女の息子は日本とポケモン好きで、この夏彼女と来日するのを楽しみにしてるのよ、とも話してました。

 

プラハはどこを切り取ってもフォトジェニックです

この後カレル橋まで戻って、旧市街をぶらぶらしながらご飯を食べますが、長くなりましたので次回に回したいと思います。それでは、最後まで読んでいただきありがとうございました。