ご無沙汰しております。試験後続きを書こうと思っている間に、3ヶ月も経ってしまいました。ウィーン・プラハ旅行記ひっそり開始したいと思いますので、もしお時間がありましたらお付き合いください。
それではウィーン旅行記最終です。
ウィーン美術史美術館は、城壁跡である外環道路(リング通り)の外側に面しています。
よってリング通りの内側は旧城壁内(旧市街)になります。道路を渡って、旧市街に突入してホーフブルク宮殿に入っていきます。
ホーフブルク宮殿はハプスブルク家、神聖ローマ帝国の王宮であり、政治の中枢でした。
歩いて行くと右手に新宮殿が見えてきます。新王宮は衰退を目の前にハプスブルク家が復権を掲げて建設した一大プロジェクト。しかしこの宮殿の主となることなく、ハプスブルクは終焉を迎えました。
オイゲンは軍事の天才として、オーストリア・ハンガリー帝国をはじめヨーロッパ各国の軍艦に彼の名が使用されています。
クリムトが所蔵されているベルヴェデーレ美術館は彼の邸宅でした。
建立された時期の前後はわかりませんが、ハプスブルクの名将二人が守護神のようにこの新宮殿前に設置されていることに、ハプスブルクの衰退への焦りと再興への願いがあるような気がしました。
さて、その足元ではあんまり穏やかそうではないイベントが絶賛開催中でした。
まあ危険ではそんなになさそうだけど、なんとなく雰囲気的から右翼っぽい。
全般に、装飾過多気味の王宮建造物の中で、あれここは結構手抜いた?という感じの建物(大統領公邸)を抜けると、4宮殿に囲まれた中庭に出ます。
ドイッチュラントドイッチュラントではじまる現在のドイツ国歌は、オーストリア帝国国歌で、ハイドンがフランツ2世のために作曲した「神よ、皇帝フランツを守り給え」の替え歌編曲です。
ミヒャエル宮正面
手前左の銀行の建物は、「装飾は罪悪である」という確固たる信念をもつ建築家アドルフ・ロースの代表作、ロースハウスです。
装飾過多に慣れきった市民から、
デコらないなんて貧乏くさすぎ!
と非難の集中砲火を喰らったロースハウス。
当時の皇帝も、
余はあの建物を見るのも嫌じゃ
と言ってミヒャエル門を使わなかったというエピソードも残されています。
(主典:https://en.wikipedia.org/wiki/Adolf_Loos)
近代化、合理化というヨーロッパの西から起こった風が、東のウィーンにも吹いたという記念建造物です。
ここには、この地がウィンドボナと呼ばれていた頃のローマ時代の遺跡が保存されています。
ローマに支配されたということは、当時の最先端文化流入を受けたわけで、支配という屈辱のカードの裏面は文明化であり、ウィーン(ウィンドボナ)はヨーロッパのイケている街の仲間入りをしました。
では、イケてるウィーンを歩いていきます。
中央ピンクのスーツのおにいさんがミュージカルの舞台感を街に醸し出します。
シュテファン大聖堂内の無料エリアをさくっと見学してきました。
地下にはカタコンベ(骸骨墓地)もあります。王族からペスト流行時に蔓延を防ぐため教会に閉じ込められた人々まで貴賤問わず、骸骨になったら同じだよね。見学ツアーもできるそうです。
無料の民にはここが限界のようです。
1985年から20年間、130万ユーロ(概算で1.5億円)かけて修復した祭壇だそう。20年か、日本人なら3年で完了してるな。終わらない、終わらせないをモットーにゆっくりやるのがヨーロッパ流(例:サグラダ・ファミリア)。
美しくない
ここからサクッと歩いて、旧市街を抜け紅茶屋さんデンメア(DEMMERS TEEHAUS)へ。
ホテルザッハーに卸しているザッハブレンドとアールグレイを購入。ザッハブレンドは缶なしだと100g€7.5なので、1000円くらい。ザッハブレンドはマリアージュフレールのマルコポールをあっさりさせた感じ。ドイツの紅茶ロンメルフェルトと系統は似てる感じです。個人的にはフォートナム&メイソンの方が好みですが、美味しい紅茶でした。
Photo from https://www.fromaustria.com/en-GB/demmers-teehaus
Photo from https://www.tee.at/shop/tee/geschenkewelt/alle-geschenke/?order=name-asc&p=2
せっかくなので、すぐ近くにあるウィーンの台所、ナッシュマルクトを少しぶらついてから、一旦アパートメントに帰ります。
現地でも感じましたが、人種が東欧系の白人に偏ってるなと思います。
日本食のお店も多く、寿司も食べられます。
Liさんなので経営者は韓国系か中国系だと思います。日本食は人気なので、ぜひ日本人に海外展開してほしい。
ロッテルダムは欧州最大の港ユーロポートがあるため、輸送費がコストダウンでき、欧州産、中東産、アフリカ産の新鮮な野菜果物が安価な値段で提供されています。
ジューシーで濃厚で、噛めば噛むほど甘味が増す美味しさです。5月くらいから8月くらいまで出回るので、もし旅行先で見かけたら食べてみてください。桃なのであまり安いものは、かびてたりするので注意です。1キロ(10個くらいで)€5くらいの硬めのものを選べば外れません。
ナッシュマルクト、散策するだけでも楽しかったです。市場は、日常の街の雰囲気や生活感が感じられて、興味深いです。
ここからメトロに乗り、宿泊地最寄駅ランゲルフェルト駅に帰ってきました。
改札がないので、自分で右にある青い打刻機にチケットを通す必要があります。忘れて捕まると、高額罰金が課せられます。
落書きは治安のバロメータです。ウィーンは治安が良かったけど、アメリカだったら絶対こんな道夜1人で歩いちゃいけないよなと思います。
一旦ホテルに戻り、明日の朝食などを買いつつ、ケバブを夕食にして、19時15分に再度出かけます。
目的地はこちら。
美しき青きドナウは、上流だからか結構小さいな、と思いますが、実はこれは中洲を挟んだノイエドナウ(新ドナウ川)で、本流はこの倍ほどの川幅です。
20キロに及ぶ中洲で公園などが整備されているようです。
もう20時近いのですが日が長いので、ウィーンっ子たちがのんびり過ごしていました。
外務省によるとオーストリアの4%がムスリムらしいですが、体感3割ぐらいイスラム系の方々でした。
地元の人を横目に、川から離れてドナウタワーを目指します
着きました。
ドナウタワー
展望台からは、眼下に先ほど歩いてきた道が見えます
このタワーは20分ほどで1回転するそうなので、カフェでコーヒーを飲みながらゆっくり展望することにしました。
反対側は住宅地が広がっています
アルトドナウは、旧本流跡で三日月湖。周辺は、おしゃれカフェが多い人気スポットのようです。
ウィーンはニューヨーク、ジュネーブと並ぶ国連都市です。
来た道は暗いので、明るい国連側の道を通って帰りました。
日本では珍しくないですが、欧州ではかなりレアなのではと思います。
22時前にホテルに帰りつきました。これでウィーン編は終了です。
重厚な街並みと、おしゃれ感と、東欧らしい素朴さと、ヨーロッパ最大の帝国だったハプスブルグの都は美しい街でした。治安もヨーロッパの都市にしては非常に良く、緑豊かで、世界で最も住みやすい都市に何度も選ばれているのにも納得です。
ただ、人種の構成的に東欧系が多くそれほどダイバーシティがあるわけではなさそうなので、ウィーン子はプライドも高いと言われるし、現地の方と結婚して住んだり、イスラム系のように密接なコミュティを作って暮らしたりしない限り、アジア系には若干住みにくいかもなとも思いました。でも母国ではないので、どの国でもそれなりの住みにくさがあるという意味では同じで、オランダ並みに治安がいいウィーンはそれだけでも安心できる住みやすい都市だと思います。
さらに個人的には、水の味というのは生活に直結するので、アルプスの美味しい雪解け水が水道から供給されるウィーンはいい街だと思います。
来訪して、ウィーンフィルや、ベートーヴェンの家にも行きたいです。
次回から、プラハ旅行記を書いていきます。もし良かったら覗きにきていただけると幸いです。