オランダ留学記

トラブルが寄ってくる体質。2022年8月から2023年7月までオランダの大学に交換留学にきています。純ジャパ。

ドイツで罰金!アジアンヘイトで考えたこと

オランダにやってきて2ヶ月弱。順調にトラブルとともに生活していますが、今回は第1弾として、フランクフルトでの旅行中に発生した罰金とアジアンヘイトについて書いていきます。

9月下旬の土曜日、フランクフルトは朝から雨でした。用事が午後からだったため、午前中はシュテーデル美術館で時間を潰そうと思っていた私は、トラムに乗って移動しようとしていました。

 

トラムに乗り込み出発した瞬間、駅員が一直線に近づいてきて、「マスクをしていないから罰金だ、外国人ならパスポートを出せ。」とドイツ訛りの英語で言いました。えっ、と思い周りを見回すと、マスクをしていなかった乗客数人が急いでマスクを着用しているところでした。彼は私のパスポートを取り上げ、罰金切符を切り始めました。私は、オランダに在住で、ドイツではマスクが公共機関で必要なことを知らなかった、罰金ではなく注意や警告ではダメなのか、と交渉しましたが、駅員は、「何を言ってる?さすがオランダ。マリファナでもやってるのか?」と笑いました。私もカチンときたので、「その発言は侮辱だ、撤回しろ、そして、その罰金は受け入れられない。」と言い返しました。そうすると彼は私のパスポートを手に、「それならこれを返さない。」と言ってきたので、「あんたに私のパスポートを取り上げる権利などない。それは違法行為だ。警察でも日本領事館でも行くから一緒に付いてこい。」と言ったところ、パスポートを私に放り投げてきました。結局、次の駅で駅員と降り、警官を呼んで話をしたのですが、切られてしまった違反切符は警察ではどうにもできない(管轄が違うのだから、そりゃ当たり前だ)ということで結局は50ユーロの罰金を受け取ることになりました。その際も、アホ駅員は、警察はお前を捕まえるためにいるんだ、とどこのバカだったら信じるのだろうという無意味な脅しを口にしてきました。

これが一連の状況なのですが、私が納得いかなかったのはマスク不着用の件で罰金を切られたことではないのです。50ユーロの罰金は学生の私にとって、一週間分の食費であり確かに大きな痛手です。しかし、ドイツにおいて公共機関でマスク着用が義務であるという情報を事前に入手していなかった時点で、私に落ち度があったと思います。特に日本と違い、知らなかった、気づかなかったは自己責任のヨーロッパで、私の抗議は最初から受け入れられないものであったでしょう。

罰金のチケット。ドイツ語がわからないのでグーグル先生に翻訳していただいた。

しかし、私が引っかかっていたのは、この駅員がアジア人を標的にしたのではないか、ということです。電車内にはマスクを着用していなかった乗客が他にもいる中で、電車が動いた瞬間に真っ先に私に向かって歩いてきたことから、彼ははじめからおとなしそうに見えるその場にいる唯一のアジア人男性である私に目をつけていたことでしょう。威圧的な態度や大言も、アジア人にだったらとってよい態度だと思っていたのだろうと思います。もちろん断言できませんが、人は不平等や差別に概して敏感なものです。彼の態度から見下されているということは確かに感じました。

また、午後の会合のあと、友人と歩いていた際、前から数人の中東の移民系らしき中学生の集団が私たちとすれ違いました。彼らの目線から、絡んでくる気まんまんだなとは感じていたのですが、すれ違いざまに、"Hey, f**king Asians, go to hell" と叫んできました。口だけのグループだと判断したので、"you too" と返したのですが、やばい集団なら無視したり、事前に道を渡るのが賢明だったでしょう。アジア人に暴言を吐いて日頃の鬱屈をすっきりさせるつもりだったであろう彼らは、格下だと信じるアジア人に言い返されたことが許せないらしく、その後もなにやかや、声高に叫び続けていました。

実は前日にも、なんだか嫌われているなと感じたことがありました。アップルワインで有名な居酒屋に夕食を食べに行ったのですが、店員が相席しろと指示した先のテーブルにいたドイツ人男性は、ここにくるな、と手で私を追い払いました。こんな奴の隣で食べても、うまいものも不味くなるしと私もテーブルを離れましたが、もやっとした気持ちが残りました。

以前訪れた南欧でアフリカ系に目の端を引っ張りながら、チンチャンチョンと揶揄されたことはありましたが、オランダでは一度もアジアンヘイトを受けていなかったため、フランクフルトの2日間で3度の差別に出くわしたことは少なからず衝撃でした。私の中では、フランクフルト=アジアンヘイトのある残念な都市という印象を残しましたが、何もこれはフランクフルトやドイツに限定された話ではないし、オランダにもそして世界の至る所で存在する話だと思います。そしてどうやらモンゴロイドは、コーカソイドネグロイド以下だと考えている人々は決して少なくないのです。

余談ですが、私はこういう人たちにはジョークで、遠藤周作の『黄色い人』で出てくる逸話を話してあげたくなります。かいつまんで話すと、神様が人型のクッキーを焼きました。最初はあまりに早くオーブンから出しすぎて生焼けで白いクッキーになった、これが白色人種だ、と。2回目はしっかり焼いたら焦げてしまった、これが黒色人種になって、3回目でようやくちょうどよく焼けて、これが黄色人種になった、という話です。まあ、人種差別者にこのジョークはとうてい通用しないのでしょうが。

マイン川の美しい夕暮れ。以前ヨーロッパに留学していた知人から、西欧人は東欧人を馬鹿にし、東欧人がアジア人を馬鹿にするんだよ、という話を聞いて、”弱いものたちが夕暮れ、さらに弱いものをたたく”というブルーハーツの歌詞みたいだな、と思ったのを思い出しました。

最後になりますが、今回このような体験をして感じたのは、一言、悔しい、ということです。私はアジアンであること、日本人であることにコンプレックスなど微塵も感じていないし、むしろ誇りを持っているくらいです。だからこそアジアの地位をもっと引き上げるために、努力して、非常にざっくりした表現ですが、すごくならなくてはいけない、と感じました。勤勉を武器に、アジア人が活躍し、勝手に下に見ている差別的な人々を黙らせたり、悔しがらせることができれば、これこそが素晴らしい仕返しになるだろうと思うのです。そして自分もそうしたアジアの一員として貢献するんだ、と帰りの夜行バスで決意したフランクフルト旅行でした。

最後に、罰金の50ユーロを負担してくれた、親に感謝です。助かりました。ありがとうございました。

 

フランクフルトで東横インに泊まる

九月の週末、ドイツはフランクフルトに行ってきました。木曜深夜に出発し、日曜早朝にロッテルダムに戻ってきました。二都市間の移動時間は、ヨーロッパ格安旅行の救世主、FlixBusの直行便で8時間です。

秋空に映えるフランクフルトのシンボル、聖バルトロメウス大聖堂。神聖ローマ帝国皇帝の戴冠式を取り行った教会であるためカイザードームと呼ばれたり、またはその重要性の大きさから、単にthe Domとも呼ばれているそうです。

 

宿泊は、フランクフルト中央駅横、バス停車場の真向かいという抜群の立地を誇る、日本を代表するホテルチェーン東横Innフランクフルトにとりました。ユースホステルで宿代を節約しようとも考えたのですが、東横インにしたのは結果的に正解でした。とはいえ、ヨーロッパのホテルと比較すれば、東横インの69ユーロは格安でしたし、シングル料金があるのが助かります。

エアコン、ウォッシュレット、バスタブの標準装備、温かな接客という日本クオリティに久しぶりに浴しただけでなく、チェックアウト後も、スーツを着替えるなどして荷物を何度か出し入れする度に快く預かってくれ、歯磨き、着替え、電子機器の充電を含め、深夜バスの発車直前までロビーで寛ぐことができました。

スーツケースを持っているだけで移動弱者なのに、そのアジア人が治安の悪化する深夜の駅前を1人でうろちょろ所在なさげに時間を潰すのは、鴨がネギだけでなく、醤油やシメのうどん、鍋まで背負ってやってくるようなもので、これはさぞ一部のゲルマン人のくすぶるハンター心に火をつけることだろうと思います。

21時ころのフランクフルト中央駅。ここから少し行くと、いわゆるレッドライトディストリクトになります。麻薬中毒者も多く見られ、また道からは濃縮された尿の臭いが漂って来ます。学生や若者が利用する安宿もこの地区に多く存在していますが、夜は出歩かない方がよいエリアが広がっています。

 

無料朝食も豊富ではないですが、朝から美食を堪能したい、と言う人以外は十分だと思います。お味噌汁を久しぶりに飲みました。ちなみにフロントのドイツ人スタッフの方は日本語が話せます。

 

旅行は映える非日常のエンターテイメントと見せかけた、体力気力注意力判断力及び財力の消耗戦であり、この蓄えを放出することでしか経験値を得られないという回収を賭けた負けられない戦いでもあります。アウェーの地でコンフォートゾーンを確保するという意味も含め、特に深夜にバスでフランクフルトに到着する、または出発する、という旅行者の方は、東横イン一択でよいのでは、と今回利用して強く感じました。

 

 

 

 

 

 

 

 

オランダの大学を志望した理由

私は今、オランダのエラスムス大学ロッテルダムに留学しています。

 

ロッテルダムの観光名所の1つ、マルクトハル。屋内市場とマンションが一体化した非常に芸術性の高い建造物。居住者は部屋からマルクトハル内が見えるそうだが、果たして自宅から買い物中の人々を見て何が面白いか、そしてくつろげるのか、は疑問のところ。でも初めて見た時は、そのモダンさに感動しました。

ほとんどの交換留学を考えている学生は、まずアメリカやイギリスといった英語圏への留学を検討すると思います。実際に、私がオランダに留学すると言ったら、親戚や友達から、えっ、オランダ?なんで?という反応が返ってくることが多かったです。

ではなぜ、私がオランダのエラスムス大学を希望したのか。それには4つの理由があります。

1つは経済に強い大学であること。

2つ目は英語が日常的に通用する国であること。

 3つ目は国際的で多様性のある大学であることです。

この時点で、特に1番目の理由から、数校に絞られました。

そして、最終的にエラスムス大学にした決め手は全国高校模擬国連でオランダを担当したことでした。模擬国大使として、国の政策を調べ上げたオランダは私にとって思い入れのある国であったことがとても大きいです。

また、海外の大学院に進学を希望しているため、留学中に検討中の大学院の見学をしてみたいと思っていることも、大学に提出した志望理由には書かなかった裏の理由です。オランダはヨーロッパのほぼ中心に位置しているため、イギリスやフランスなどに低額の移動費用で訪れることができる素晴らしい地の利を持つ国だと思います。

エラスムス大学は日本では無名と言っていいほどの大学ですが、ヨーロッパを中心に経済学、経営学、医学の分野で非常に国際的な評価を得ている大学です。日本からの交換留学生も少なくはなく、私の知る限りでは、慶應の他、一橋大、早稲田大、京都大の学生が留学しています。

オランダの大学は、人文系ならライデン大学、法学ならアムステルダム大学、理系ならデルフト工科大学、農業系ならばフローニンゲン大学など、各大学が特定の学部に独自の強みを誇るため、いわゆるわかりやすい大学別ランキング表などでは測れない部分が多いと思います。

今後も、志望理由書や学習計画書など交換留学選考に関する記事についても書いていきたいと思います。

早朝のエラスムス大学構内。最寄駅から中心地へのアクセスも非常に良好ですが、郊外にあるため、静かな環境です。

 

ロッテルダムについて

私は現在オランダの第2の都市ロッテルダムに住んでいます。オランダ全般に言えることですが、ロッテルダムは大都市にも関わらず非常に治安のよい街です。ヨーロッパ中で悪評とどろくスリが闊歩していることもなく、小学生だけで街を歩いているのも見かけますし、長距離バスに乗るため真夜中に(海外では治安が悪いと相場が決まっている)バス乗り場付近を歩いていても、特に身の危険を感じることもなかったです。

第2次世界大戦で破壊されたため、ヨーロッパの他の街に比べ近代的な街並みのロッテルダム

また、国民の大半が英語を話すため、オランダ語が話せなくても、聞けば明快な英語でなんでも教えてくれ、特に困ることもありません。国際的な都市なので移民の方や外国人の方も多く、駅で切符の買い方が分からないとき、構内で迷ったときなど、自分も最初は分からなかったよ、と言って親切に説明してくれ、ときには心配してついてきてくれます。このようにロッテルダムは非常に外国人慣れしており、日本人にとってヨーロッパで最も住みやすい街の一つだと思います。ただ、標識、案内板、役所の書類、食品の説明書きなど全てオランダ語なので、Googleの翻訳機能が手放せない部分はありますが、それは文明の利器でどうにかなる範囲なので大きな問題にはならないでしょう。

コーヒーである、という以外分からない時でも

これでモーマンタイ。美味しくいただきました。

 

はじめまして

2022年秋から1年間、慶應義塾大学からオランダの大学に交換留学にきています。自身の忘備録を兼ねて、これからオランダに交換留学を考えている方やオランダに興味がある方に、トラブルに愛される人間が世界快適選手権優勝国日本を出てオランダに留学するとどうなるのか、という実情と足掻き方みたいなものをつれづれと綴っていきたいと思います。

 

2022年8月24日、日本出国。エミレーツカウンターに荷物を預けたら、20時をすぎた成田空港内で開いている店はマックのみ。日本最後の食事はサムライマック。22時に飛行機に搭乗し、機内食という炭水化物祭りに参加。ドバイ経由で25日オランダ、スキポール空港着。入国審査では水戸黄門の印籠のように大事に抱えていったCovid-19関連の書類は何一つ要求されず、ビザと大学の入学許可証のみを見せるように要求され、晴れて潜伏開始。